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ナイレンよりも早くに街に着いたレイヴンは街の入り口から聞こえてくる悲鳴や喧騒に眉をひそめた。
それに混じって漂ってくる血の匂い。
「ちょっと…かんべんしてよねっ!」
ぼやく言葉とは裏腹に、レイヴンは走り出す。
近づけば近づくほど血と砂ぼこりの匂いは濃くなり…
視界が開けたとき見えたのは見なれた戦場だった。
自分がいる位置から幾分か下の平地で繰り広げられる戦い。
獣の姿をした魔物も血の匂いも剣を打ち鳴らす音も
どれも慣れてこの身に染みついている。
しかし、ひとつだけ見なれないもの。
それを見てレイヴンはいぶかしげに眼を細めた。
「…何よ、あれ」
まるで馬車に憑いたように、からんでうねる紅い帯。
それ自体が意思を持っているのか…何かの本能に突き動かされているのか…動くもの、生あるものめがけて襲いかかっている。
それは魔物であろうが人であろうが関係ないようだ。
紅い帯のようなものにはすでに幾体かの魔物が巻き込まれているのが見て取れた。
「助けて!まだ子供が中にっ!!」
悲痛な女性の声が耳に届く。
見ると、赤いものに絡みとられている馬車の中にちらりと人の衣服が見え隠れしていた。
あれか……
すっと弓を構え、狙いを定める。
軽々と放たれたかのように見えた矢はそれることなく、赤い帯に突き刺さった。
痛みでもあるのだろうか。それとも、単に邪魔をされたから引いたのか。
赤い帯は逃げるようにその身をのけぞらせる。
そのすきを狙って、騎士団の一人が走って子供を救出する姿が見えた。
レイヴンはよっこらせ、とさもおっさんくさい掛け声とともにジャンプすると、戦場となっていた平地に降り立った。
「おいてめぇ、どこほっつき歩いてた」
ギルド員を率いてこの場にいたメルゾムは腕組のままレイヴンを見下ろす。
「俺様だってやんなきゃなんないお仕事があんのよ。知ってんでしょ?」
「へっ、どうだかなぁ」
「あーもう…あ、ほら。あれ逃げちゃうわよ。いいの?」
レイヴンが指をさす方向では、身をくねらせて赤い帯のような魔物が逃げていくのが見えた。
それを追って騎士団の軍用犬が走っていく。
メルゾムは苦い顔。
「俺んとこの人間がやられてる。そういうわけにゃいかねぇな」
「なら、どうすんのよ」
「決まってる。追いかけるぞ」
「もしかしなくても、それに俺も入ってんのね」
「当然だ、きりきり働け」
「………どこ行っても、みんな人使いが荒いんだから」
前を歩くメルゾムの後を、ひとつため息をついて追った。
自分の腰ほどはありそうな草叢の中を進む。
歩きにくいわ、どこに何が潜んでいるか分からないわで、正直分が悪い。
だが、それを言ったとてここにいる人間は引き下がりはしないだろう。
軍用犬が走って行ったために、騎士団の人間もついてきていた。
その中には、ナイレンと一緒にいた少女と同じ顔をした少女が見える。
……かおも背格好も同じだけど、あっちの方がぼいんちゃんね。
本人らが聞けば激昂されそうなことを思いつつ、レイヴンは足を進ませる。
まだ、何者かが潜んでいる気配はない。
逃げたか…それとも、どこかに潜んでいるか…
あの魔物の特性じゃ、どこかに潜んでるってのが高そうだけど…
レイヴンが周りの気配を窺った…その時
「う、わぁぁああああ!」
突然背後で聞こえた悲鳴。
とっさに振り向くがすでに遅く…引き倒されたらしいギルド員が引きずられていく。
矢を放つも動きが早く、草で姿が見えないために効果が得られず。
地を這っていたものが今度は上空へと飛び出し……血の雨を降らせた。
それが何の血であるか…見えてはいないが想像するのは難しくない。
知らずうちに、奥歯を強く噛みしめる。
血を被ることとなった少女が悲鳴を上げるが、それを慰める余裕はなかった。
再び静まり返った森の中。
うまく隠れたのか、相手の姿も見えない。
この不利な状況下で気を抜けば、第二の被害者が出るのは目に見えていた。
弓を握る手に力がこもる。
その時だった。
かすかに獣の唸り声が聞こえたのは。
「ランバート?」
震える声で少女が呼ぶ。
背の高い草の合間に、赤く光る眼が見えた。
だが、その目は……
理知あるものの目ではない。
「離れろ!」
叫び、矢を放つ。
空を裂き走った矢。それを寸前で避け、獣は空へと身を躍らせた。
姿を見せたそれは、醜悪、の一言に尽きた。
「ラ、ン、バード…」
三頭の軍用犬を頭とし、蛇のようにくねる体。
軍用犬は牙をむき出しにし、口から出るのは魔物のように理性をなくした唸り声。
赤いものが寄生したためにそうなってしまったのか、あれを切り離せばもとにもどるのか。
何も分かりはしない。
そして、目の前のものは考える間も与えてくれはしれなかった。
口を限界まで広げ、よだれをまきちらしながら襲ってくる犬たち。
騎士団の者が呼びかけるも、それに反応する様子は見られない。
頭となっている犬たちが噛みつこうと襲い掛かり、体となっている蛇身が立っている者たちをなぎ払おうと身をくねらせる。
レイヴンはとっさに木の上へと身を躍らせ矢を放った。
一度はそれを避けられたものの、追尾効果のある矢はそれを良しとはせず、蛇身に突き刺さる。
しかし、やはりあの身に痛みは感じないのか、わずかに進路がずれたのみで、動きを止めるには至らなかった。
三頭の犬は一人の人間をターゲットに決めたようだった。
呆然と立ち尽くす少女に牙を剥く。
「いやぁああ!やめて、ランバード!!」
「ちぃっ」
木の上から跳躍し、身を空に舞わせる。
空中で体勢を整え、左右の二頭へ矢を突き立てる。
そして、最後に中央の犬の上へ飛び乗った。
おびえた表情をしていた少女の目が、限界まで見開かれる。
「やめてぇええ!」
「……こうしてあげる方が幸せなのよ」
何かを傷つけるための人形として生かされるよりは…ね
ランバートと呼ばれる犬の頭に小刀を柄まで深々と突き刺した…。
雨の中、ぼんやりと立ち尽くす。
騎士団の一人が自分に礼を述べて少女を連れていったが、正直なんと言われたか覚えていない。
ただ、ぼんやりと自分が手にかけた軍用犬のことを思っていた。
目から光をなくす犬の姿が、いつのまにか自分の姿にすり替わっていく。
あぁ、いつか自分もあのように動きを止めることができたらいいのに。
誰かが、俺を止めてくれたらいいのに。
どくり、と忌々しい左胸が鼓動を刻んだ。
エアルが目に見えるほど濃い…
紅葉に彩られた森。
まずは異常の現場を見ておこう…と足を踏み入れたものの、あまりのエアルの濃さにレイヴンは眉をひそめた。
同時に、どくりと左胸が不意に鼓動を刻み、無意識に左胸を抑える。
あまりこの場に長くいるのは避けた方がよさそうだ。
幸い、魔物にも出くわしてはいないが、ここで戦ってしまうと過剰なエアルを魔導器がとりこんでしまい、魔導器にも悪影響を及ぼしてしまいかねない。
早めにここを去るのが得策…と来た道をもどり始めた。
ほどなくして紅葉ははるか後方へと去り、元の緑がもどってくる。
「このへんはまだ問題はなさそうなんだけどねぇ……」
徐々に範囲を広げているという紅葉は、いつかはこの周囲にも及ぶだろう。
まだ遠い…などと楽観視はできない。
もっとも、レイヴンにとっての心配はこの街のことよりも……
さっさと原因突き止めてドンに報告しないと、どんな目にあわされるか…ということのほうが大きかったりもする。
森の中を魔物に見つからないよう気配を殺して歩く。
そうしていると、人の気配を感じ、さっと木陰に身を隠した。
そっと覗き見ると、そこにあるのは見しった顔。
…フェドロック隊長と…街で見た女の子ね。
紙切れを持って、何やら探している様子。
これを逃す手はない。
レイヴンは彼らの後をそっとつけた。
たどりついたのはお世辞にも奇麗とは言えないあばら家。
屋根は苔で覆われており、到底まともな人間が住んでいるとは思えない。
そこへ足を踏み入れていく二人を見送りながら、彼らの目的を推測する。
魔物の凶暴化、エアルの異常に関することであるのは確かだろうが、内容まではさすがに予想できない。
せめて、あの家の住人が誰かだけでもわかればいいのだが……
レイヴンがそっと近づこうと足を踏み出した……その時。
バァン
突然に消し飛んだ家の扉。
自分を通り過ぎていく爆風と熱に思わず体を震わせる。
目を細めて問題の家を見ると、奇麗に半円形にくり抜かれた壁が見えた。
どうやら、とっさに魔術の壁を作り、二人は身を守ったようだ。
……いきなり攻撃魔術でお出迎えって…どんな人間よ
うかつに近づいてなくてよかった、と胸をなでおろす。
でなければ、いまごろあの爆発に巻き込まれてあるまじき醜態を晒していたことだろう。
そんな間抜けな理由で見つかる…なんてことは御免こうむりたい。
突拍子もない出来事であったが、吹き飛んだ壁のおかげで話を盗み聞くのは容易になった。
レイヴンは今度こそ…と慎重に家屋へ近づいた。
「あぁ、あの遺跡なら前に調査したわ」
……子供?
近づけば、聞こえてきたのは少女の声。
見ればまだ10代の少女。
しかし、話す内容はどの魔導師よりも専門的だ。
「あの遺跡の魔導器には魔核はなかったわ。でも、川に沿って紅葉が広がってるっているんなら、あの遺跡が関係してるって可能性は高いわね」
「ということは?」
「誰かが魔導器動かして暴走させてる可能性が高いんじゃない?」
少女は眠くてたまらないと言った口調で話す。
「魔導器が動いていたとして、どうやったら止められる?」
「んー…種類が分からないと何とも…あ、そうだ。あのこなら……」
ごぞごそと少女は乱雑とした室内を漁る。
他人にはただ散らかっているようにしか見えない部屋も、住む本人にはどこに何を置いているかしっかり分かっているらしい。
少女がとりだしたのは小型の魔導器。
「エアル採取用の魔導器よ。これでエアルの流れをうまく絶つことができたら、魔導器を止められるかもしれないわ。ただ、このこも魔導器だから……」
「濃いエアルの中では暴走するかもしれない……か?」
「そゆこと。だから、これもあげるわ」
少女はぱちぱちとタイプライターのようなものを打ち込む。
すると、術式がするすると打ち出された。
なにやら透明な用紙に印字されたそれは少女の手の中で不思議な色合いを放つ。
「魔導器に流れ込むエアルを調整する術式よ。しばらくの間ならこれで魔導器がエアル過多になるのを防ぐことができるわ」
「・・・助かった」
すっとナイレンが少女にネックレスのようなものを差し出す。
少女はそれをひったくるように奪うと、幸せそうに微笑んで頬ずりをした。
どうやら、あれが今回の報酬らしい。
用事はすんだ、と立ち上がるナイレンをみて、レイヴンはそっと壁から離れる。
話が終われば、レイヴンにとってここにいるメリットは何もない。
見つからぬうちに、と早々にその場を離れた。
「…抜かりない奴だな。まったく、何が楽しくてただの駒でいるんだか…」
ぽつりとつぶやくナイレン。
何を言ったかわからず、不思議そうに自分を見上げるシャスティルに何でもないと声をかけ、歩みを再開する。
リタの魔術が炸裂した時、レイヴンが消しきれなかった気配。
それを感じ取ったナイレンは、レイヴンが話を盗み聞きしていたことを知っていた。
そして、彼がもう一つの顔を持っていることも。
しかし、今はレイヴンの動きよりも街に迫る紅葉のほうが脅威だ。
ナイレンは帝都にいる悪友を思い浮かべ、ため息をつく。
あまり待てねぇから、さっさと来いよ
頬を凪ぐ嫌な風はその濃さを増していくようだった。
体をのけぞらせて、背後に矢を放つ。
放たれた矢は的確にウルフの目を深々と射抜いた。
ウルフは駆ける勢いのまま数歩走り、そのまま地面に倒れ伏した。
動かなくなった躯を眺め、一息つく。
しかし、すぐにこの場を離れなければ、血の匂いにつられた魔物が再びやってくるだろう。
レイヴンは遠くに見える色づいた木々を眺める。
紅葉には早すぎる季節。
異変が起こっているのは確かなようだ。
…こりゃ、さっさと街に行ったほうがよさそうね。
このままここにいては、一体どれほどの魔物と戦うはめになるか分からないし、なにより、もたもたしていると状況はさらに悪化いていくことだろう。
幸い、街はすぐ近く。
レイヴンは結界魔導器の放つ光を目指し、走った。
街にたどりついたレイヴンは、住民の雰囲気に眉を寄せた。
街を歩く者は少なく、活気が見られない。
空き家も目立つ。
歩いているものも、どことなく沈んだ様子で、情報を収集するのも難しそうだ。
「仕方わね…酒場にでも行きますか」
この街に拠点を置くギルドのボスをドンから紹介されている。
その男ならば、この街に起こったことの子細を知っているだろう。
酒場のありそうな方は…とあたりを見回していると、視界の端に青いものが映った。
思わず、さっと身を隠す。
別に、逃げなければいけない理由なのないのだが、自分を知っている人間がいたら困るのと、呼び止められでもしたら面倒…などの理由から、騎士団をみると身を隠す癖がついてしまっている。
物陰からそっと窺うと、顔から背格好までよく似た二人の女騎士と、金色の髪の騎士の姿があった。
何やら雑談をしながら歩いていることから、見回りの最中というわけではないらしい。
彼らが過ぎ去るのを待ってから、足早に石畳を歩く。
幸い、お目当ての酒場はすぐに見つかり、さっと扉を開いて中へ足を踏み入れた。
薄暗い室内。
一応開店はしているようで、無愛想なバーテンダーがちらりと視線をよこした。
それに軽く手を挙げると、お目当ての人間を探すために視線をさまよわせる。
薄暗いとはいえ、広くない室内。
お目当ての人物は簡単に見つかった。
「おじゃましますよっと」
へら、と笑って声をかけると、巨躯の男は不快そうに髭面を歪めた。
「何だてめぇは。ここの人間じゃねぇだろ」
「まぁね。お使いなのよ」
誰からの、とは言わないで、すっと一通の書状を差し出した。
男はそれに押された紋を見て、器用に片眉をあげると、奪い取るように書状をひったくり、びりびりと破いて封を開けた。
しばらくはそれを黙読していた男だったが、それに火をつけて燃やしてしまうと、今度はまじまじとレイヴンの顔を見た。
「……てめぇがレイヴンか」
「そぉよ」
「………」
見定めるような視線。
そうやって見分されるのはもう慣れっこだ。
ドンの使いとして動く時、たいてい相手からはこうやって見られる。
飄々とした体を崩さずに、相手が答えを出すのを待っていると、どん、と目の前に酒が置かれた。
顎で座るように促され、おとなしくそれに従う。
大男は自分をメルゾムと名乗ると、前置きなしに本題に入った。
「わりぃが俺たちも正直何が起こってるかは分からねぇ。その辺は騎士団が情報統制してやがるからな」
「ま、そうよねぇ……」
騎士団が駐屯している以上、街の防衛は騎士団が担う。
作戦にかかわることはすべて秘匿扱いとなるため、市民が知れる情報などたかが知れている。
ここを拠点にしているギルドといえど、情報を専門に扱うギルドでもない限り、多くの情報を手に入れるのはやはり難しいようだ。
「詳しいことは分からねぇが、こんなことが起こりだしたのは、そう昔の話じゃねぇ。始まりが何だったかなんて覚えちゃいねぇがな、魔物の凶暴化だのなんだのって言われだしたのはここ1,2カ月ぐらいだ」
「ふぅん…でも、それだけならわざわざドンが気にしたりしないわよね」
「ただの凶暴化ならいいんだがな、どうやら繁殖能力も上がっちまったらしい。倒しても数は全く減らねぇ。増えてくばっかりだ。ついこないだ騎士団が大規模な魔物掃討作戦をしたらしいが…それもどんだけ効くかな」
大規模な掃討作戦。
それをするにはそれなりの装備・資金が必要になる。
ならば、確実にこの話はアレクセイに伝わっていることだろ。
あの男は些細なことであろうとも、自分で知っておかねば気が済まない。
自分しか信用していないために…。
その男が、この状況を放置している。
ならば、この事象は男の計画に支障がないか、男の計画の内かのどちらかだ。
大体のことは計画に支障がないと捨て置かれていることであるのだが、どうも今回のことは違うように感じる。
…詳しい情報が欲しいとこだけど…どうしたもんかねぇ……
レイヴンは顎の無精ひげをなでながら頭を悩ませる。
「詳しい情報が欲しいんなら、騎士団の後つけて盗み取るしかねぇぞ」
「…やっぱそうなるかねぇ……」
レイヴンはどっぷりとため息をつく。
ドンが自分をここに回した理由が痛いほどよくわかった。
あー…もう、厄介なことにならないうちに帰りたいわね
ナイレン・フェドロック
ユーリ・ローウェルとつながりのある男。
どうやら、ユーリとは歳は違うものの、同期であるらしい。
かつてナイレンはアレクセイの親衛隊に所属していた。
しかし、自分が任務に就いている間に妻子と死別。
以来、親衛隊からは離れ、別の隊に籍を置いたようだ。
親衛隊からは離れたが、その才は際立つものがあり、隊長に推挙されたものの、妻子を亡くした経緯から、すべてを騎士団上層部の命に従うことを良しとはせず……
現在はシゾンタニアに左遷という憂き目にあっている。
彼が妻子を亡くした経緯まで詳しく知ることはできなかったが、どうやら、何かの爆発に巻き込まれた…とのことだ。
シュヴァーンは彼と会った時のことを、淡々とアレクセイに報告した。
別段、重要な情報でないようにおもうが、それは情報を聞いた主人が判断すること。
自分はただ見聞きしたことを伝えればよいだけ。
しかし、胸にあるこの不快な思いは何だろうか。
アレクセイの手足として動くたび、それは徐々に大きくなっている気がする。
胸にある戸惑いを気取られぬように、シュヴァーンはまっすぐにアレクセイに対峙した。
「フン、フェドロックか。ローウェルといい、フェドロックといい…面倒な」
「………」
シュヴァーンはただ黙ってアレクセイの言葉を待つ。
「まぁいい。フェドロックには別の奴を回す。お前は引き続き、ローウェルとギルドの監視だ」
「了解しました」
シュヴァーンの従順な様子が気に入ったか、アレクセイは満足げに頷く。
「そう、それでいい。お前は私の言うとおりにしていろ」
「……はっ」
頭を下げ、彼の望み通りに従順の意を示す。
心臓が痛んだ。
それから数年の月日が流れた。
シュヴァーンは騎士団とギルドと双方を行き来したが、どちらも目立った行動はなかった。
ユーリは騎士団長の命にすべて従うわけではないもの、任務はこなすし、目立って何かを企んでいる様子もない。
ギルドはギルドで、小競り合いは絶えないものの不穏な動きはみられない。
アレクセイの過剰な警戒は杞憂なのではないか。そう思うまでに静かだった。
「おい、レイヴン」
「なーによ、また面倒事押し付けようってんじゃないでしょーね」
ギルドの首領であり、ユニオンのまとめ役でもあるドン・ホワイトホースに呼ばれ、レイヴンは半眼で睨む。
ドンに呼ばれるということはレイヴンにとって、ろくなことにならない。
それがこのギルドに所属するようになって、彼が一番に学んだことだった。
今日も彼の予想通り、面倒ごとであるらしい。
嫌そうに顔をゆがめるレイヴンに構わず、ドンはニヤリと笑う。
「察しがいいじゃねぇか。おまえ、ちょっとシゾンタニアまで入ってこい」
「シゾンタニア―?」
シゾンタニア
それはダングレストの東にある街。
あの時出会った、ナイレン・フェドロックが駐屯している街でもある。
帝国から離れていることもあって、騎士団はその場所に戦力を割けていない。
本当ならば、ギルドへのけん制目的で防衛の要所としておきたいところではあるが、実質そうはいかず…
幸福の市場が拠点としているトリム港の対岸のノール港がその役目を果たしている。
ゆえにシゾンタニアは帝国にとっては捨石のような街である。
そこへわざわざ行けというのは……?
「あそこは最近きなくせぇンだ。魔物が凶暴になってきやがってる。このままじゃ、いつこっちが襲われるかしれねぇ。てめぇはその原因を探ってきやがれ」
「またそんな曖昧なもんを調べてこいとか……」
「あぁ?文句あんのか?なら……」
「ありません!では、行って参ります!」
これ以上難題をふやされては御免、とばかりにレイヴンは慌てて逃げ出す。
ユニオン本部から走り出て、ようやく一息つくと、ドンから言われたことを思い返した。
魔物が凶暴化…ねぇ
こちらにはそんな報告はまだ上がってきていない。
となれば、それが起こっているのはシゾンタニアのごく周辺に限られているのだろう。
……今のところは。
ぼんやりと考えていると、以前アレクセイが言ったことが思い返された。
「フェドロックへは別の奴を回す」
誰を派遣したかはしれないが、その派遣した誰かはまだシゾンタニアにいるだろう。
ならば、魔物の凶暴化がおこっていれば、アレクセイはその者を通して、その情報を知っているということになる。
だが、そんな情報はまだ帝国内のどこにも出回ってはいない。
なんか、やーな感じがするわ
レイヴンは嫌な胸騒ぎを感じつつ、シゾンタニアへ向かった。
そして、ギルドでの地位が安定すると、今度は騎士団として隊長職を与えられた。
騎士団でもギルドでもアレクセイの手足となり働く日々。
一度死んだ身をよみがえらせたアレクセイが、自分を道具として壊れるまで使うのだろうということは理解していた。
初めは、それを苦痛と思うことはなかった。
なにも感じなかったから。
いや、感じようとしなかったから。
しかし、かたく閉ざしたはずの心は、大きな存在に揺り動かされ、徐々にほころび始めていた。
ドン・ホワイトホース
ユーリ・ローウェル
ギルドと騎士団
異なった場所にその身を置きながら似たような性質をもつ彼らは、他人の都合などお構いなしに他者の心の奥深くにまで踏み込んでくる。
彼らに言えば、おそらく『知るか、そりゃてめぇの都合だろ。勝手に俺がしたことにすんじゃねぇ』と怒られることだろう。
だが、彼らに心揺さぶられるものは多く、おのずと彼らの周りに人は集まる。
固い結束力を持つ強大な集団が作られる。
アレクセイはそれを恐れた。
烏合の衆ならば数は多くとも敵ではない。
だが、自分の前に立ちふさがるようなものは計画の邪魔となる。
ゆえに、シュヴァーンを監視役として遣わせたのだが……
アレクセイは自分の人形までが心を揺さぶられるとは考えなかった。
久方ぶりに帰った帝都。
シュヴァーンの姿で城内を歩く。
城内に変わった様子はなく、静かなもの。
だがそれは表面上で、皇帝不在の現状では裏で小汚いやり取りが繰り返されている。
シュヴァーンが歩く間も、密談を交わす貴族連中の姿を何度か目にした。
それほどまでに、帝都は腐食してきているのだ。
…あの人ならば、蹴散らしてまわるのだろうな
ふと、監視対象とされているユーリの姿が思い出される。
自由奔放でいい意味でも悪い意味でも規則にとらわれず、権力に屈しない彼ならば、たとえ相手が上位の貴族であろうと蹴り倒すであろう。
うらやましい。
ふとそう思ったが、同時に自嘲の笑みが浮かぶ。
自分にはそう思う資格すらもうないのだ。
死人には信念も何もありはしない。
「なに、にたにた笑ってんだ?」
突如後ろからかけられた声に、シュヴァーンは瞬時に振り返る。
物思いに耽っていたせいか、接近に全く気付かなかった。
シュヴァーンの視線を受けた男…ユーリは喰えない笑みを浮かべて肩をすくめて見せた。
「なんだ、邪魔したか?」
「いいえ。挨拶もせず、失礼致しました、ローウェル隊長」
「堅苦しいのはやめようぜ。俺がそういうの嫌いだって知ってんだろ?」
非礼を詫びるように深々と礼をして見せるシュヴァーンをユーリは片手で制す。
規律正しい騎士団において、堅苦しいのが嫌いとのたまった男の恰好は、相変わらずの乱れよう。
がしがしと頭をかいた男は、ふと何か思いついたように一瞬動きを止めると、にやり、と笑ってシュヴァーンの手をつかんだ。
突然のことに、ドキリ、とする。
驚くシュヴァーンにはお構いなしに、ユーリは彼の腕を引いてどんどん道を歩き始める。
「ローウェル隊長、一体何を…」
「驚かせた詫びだ、面白い奴に会わせてやるよ。土産話にでもすればいい」
「……っ……」
土産話……一体、誰にへの……
男の意味深な発言にシュヴァーンは無意識に息をのむ。
この男は一体どこまで知っているのか…はたまた、無意識か。
無表情を決め込むシュヴァーンを横目で見やり、ユーリは口の端に笑みを刻む。
シュヴァーンがそれに気付かなかったのは幸いか……
「よぉ、ナイレン」
とある一室。
軽く手を挙げて中の人物に笑みを送る。
中にいる人物はユーリの姿を見て同じく笑顔を浮かべたが、隣に連れている人物を見て、目を丸くした。
「ユーリ、何連れてんだ?そいつぁ、あれだろ?」
「そ、アレクセイの秘蔵っ子」
「子って言うほど若くねぇだろ」
「じゃあ、あれだ。右腕?」
「俺が知るか」
「ま、田舎にゃ情報はとどかねぇか」
「言ってくれるじゃねぇか、どうせお前ももうすぐ飛ばされンだろ」
「それでもいいさ」
「ま、確かに田舎はいいぜ。すごしやすいしな」
初めは自分の話しであったように思うが…いつの間にか話しはどんどんそれ…仕舞にはただの近況話となってしまっている。
シュヴァーンの彼らをみる目が徐々に呆れを含んだものになっていくのは仕方のないことだろう。
それに気づいたか、ユーリがシュヴァーンを振り返ってニヤリと笑う。
「シュヴァーン、挨拶しとけよ。滅多に帝都にもどってこれねぇフェドロック隊長だ」
「もどってこれねぇンじゃねぇ。もどってこねぇんだよ。間違えんな。……まったく、お前も厄介なのばっかに気に入られるな」
厄介なの…ばっかりに
それが誰と誰を示すのか。
時折引っかかるような言葉を投げかけられ、眉根を寄せるシュヴァーンにナイレンは右手を差し出す。
「ナイレン・フェドロックだ。今はシゾンタニアに駐屯してる」
「シュヴァーン・オルトレインです。お会いできて光栄です、フェドロック隊長」
「世事はよせ。辺境に飛ばされた落ち目の隊長と知り合ったって、何の得もねぇだろ」
「そんなことは……」
困ったように言葉を濁すシュヴァーンの背を、ナイレンは豪快に笑って叩く。
屈強な体をもつナイレンの力に押され、数歩たたらを踏む。
正直、かなり痛かったがそれを顔に出すことはいない。
もう、監視なんかどうでもいい。
一刻も早くこの場から逃れたかった。
「シュヴァーン、お前も忙しいだろ。もう、帰っていいぞ」
ユーリから助け、ともいえる声がかかる。
監視役としての命を遂行するならば、この二人があっている理由を確認しなければならなかったが、自分の上位格の隊長であるユーリにそう言われては、この場から辞去しないわけにはいかない。
そう自分の行動に理由をつけ、シュヴァーンはためらうことなくその場を後にする。
彼の気配が去ったのち、男二人は笑みを刻む。
「で、アレクセイの子飼いに俺らの関係をほのめかして何する気だ?」
「そろそろ田舎でじっとしとくのも飽きただろ?」
「まぁな」
「なら……」
「そろそろひと暴れしようぜ」
ユーリの目は城の中で退屈に倦んでいたものの目ではなく、獲物を前にした獣のように生き生きとしていた。
黒獅子の目覚め