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結局、アレクセイはユーリのよこした証文を手に、自らは皇族であると名乗り出た。
評議会は、証文はアレクセイが無理やりに書かせたものではないかとして、それを否定したが、真実はどうであれ証文は本物。
アレクセイを慕う騎士団は当然アレクセイを支持し、アレクセイの言を疑う者はいない。
それに異を唱えていた評議会であったが、評議会の中からも、アレクセイが異例の若さで騎士団長に任命されたのは、このような事情があったためではないのかと言うものが現れて、評議会としてもアレクセイが皇族であると認めないわけにはいかなくなった。
だが、皇族であるのと皇帝になるのとは別問題。
皇帝になることに対しては承認しかねる。
そう表明していたのだが……
「アレクセイが皇族であるのであれば、私は皇位継承権を放棄します」
評議会が擁立していた皇帝候補、エステリーゼがそう宣言した。
自分はもともと遠縁。
実績もあるアレクセイが皇帝候補に名乗りを上げるならば、自分は身を引くのが筋でしょう。
そう言いだした彼女に、焦ったのは評議会だ。
これまで自分たちのなすことに異を唱えたことがなかった彼女が初めて、評議会に意見したのだ。
しかも最悪な形で。
これでは残るヨーデルが皇帝となったとしても、評議会の弱体化は免れない。
必死に策を練る議員らをアレクセイは待ちはしない。
彼は自らの言を生かし、国民を味方につけた。
結果、もう一人の皇帝候補であったヨーデルも…
「彼にお任せしましょう。民もそれを望んでいます」
そう言って候補を退いた。
皇帝の証となる宙の戒典は未だに帝国の手には戻っていないものの、他に皇帝候補がいない以上、アレクセイが皇帝になることを評議会は認めざるを得なかった。
そうして、帝国は新たなる皇帝を迎えた。
だが、その代わりに空席となった席が一つ。
「はぁぁぁぁ」
長い長いため息をついて、紫色の羽織の裾を翻して一人の男が歩く。
常に暁に彩られた街、ダングレスト。
そこを重い足取りでレイヴンは歩いていた。
目的地はユニオン本部。
帝国が新しい皇帝を迎えようとこの街は変わらない。
レイヴンは顔パスでユニオンの門をくぐりぬけ、ドンの私室へと足を踏み入れた。
「よぉ」
「レイヴンじゃねぇか。何しにのこのこ顔見せやがった」
中にいたのは、ドンの私室のソファにゆったりと座り、こちらに片手を上げて見せる男…ユーリと、この部屋の主。
シゾンタニアへ行って以来ろくに顔を見せていなかったために、案の定ドンから怒鳴られることになった。
だから来たくなったのだと心中でぼやく。
「仕方ないでしょぉ…何かと忙しかったんだから」
「知ったことか。で、何の用だ。おめぇ、オレに用があってきたわけじゃあるめぇ」
「……まぁねぇ……」
ちろりと横目でユーリを見る。
男はにやにやと笑ってこちらを見るばかり。
おそらく、自分の用件などすでに分かっているだろうに、彼から言葉を発することはない。
やはり自分が言うしかないらしい。
覚悟を決めて、口を開く。
「ユーリ・ローウェル殿にアレクセイ皇帝陛下からの伝言が…」
「へぇ?」
「帝都に戻り、騎士団団長の職を…」
「却下」
言葉半ばでバッサリ切って捨てられる。
分かっていたことだが、口からため息が漏れるのを止められない。
「オレはもうすでに死んだ身だぜ?ということは帝国の人間じゃねぇ。そんな面倒事受ける義理はねぇよ」
「それは、そうなんだけど…実際には死んでないわけでしょ。ならば何の問題もないと……」
「だから、こんなことにならねぇようにわざわざ葬式まで出したんだろうが。面倒事はごめんだ」
「……」
とりつく島もない。
がっくりと肩を落とす。
「レイヴン。てめぇウチの人間のくせに、オレの息子を帝国に連れて行こうとはいい度胸じゃねぇか」
「ぎくっ」
「主席殿がくるってんなら話は通るがなぁ」
明らかにドンは面白がっている。
たしかに、天を射る矢に所属している『レイヴン』としては場違いな話である。
ドンが言う通り、話しを持ってくるならば『シュヴァーン』のほうが筋が通る。
だが、ダングレストに来るにはこの方が都合がよいのだ。
「……もう、いいでしょ!どっちも俺様なんだから」
自分の口から自然と出た言葉。
その言葉に誰よりも自分自身が驚いた。
『レイヴン』も『シュヴァーン』も両方自分。
今までそれを否定し続けてきたのは自分自身だったはずだ。
アレクセイの意のままに動くシュヴァーンに嫌気がさして、自由なレイヴンにあこがれた。
けれど、結局はそのレイヴンもアレクセイの指示に従って動く存在。
自由にあこがれながらも、それは叶わず、結局は縛られるだけの自分に…この生に倦んでいた。
そのはずだった。
おもむろに視線を上げる。
すると、楽しげに目を細めるユーリと目があった。
おそらく、ユーリは気付いているのだろう。レイヴン自身すら気付けなかった変化に。
そして、それを面白がっている。
本当に性質が悪い。
「ふふふふ……」
突然笑い始めたレイヴンを見て、ユーリとドンは顔を見合す。
その顔は『ついに頭が湧いたか?』と考えているのがありありとうかがえる。
そんなことには構わず、レイヴンはびしぃっとユーリに人差し指を突き付けた。
「こうなったら絶対諦めないんだから!大将が受けてくれなきゃ、俺様に御鉢が回ってくるのよ!そんなの御免だわ!」
「それが本音かよ」
「当たり前でしょ!誰が団長なんぞやりたいと思いますか!」
他の騎士らが聞いたら何と思うか。
だがそんなこと関係ない。
ユーリが団長なんか御免だと言うように、自分だってなりたくはないのだから!
「覚悟してよね!」
そう捨て台詞を吐いて、部屋を後にする。
残されたのはぽかんとした二人。
「おい、ユーリ」
「なんだよ」
「おめぇ、なんかあいつのスイッチ押したみてぇだぞ」
「そうらしいな」
「どぉすんだ」
「ま、いいんじゃねぇか」
「その方が人間らしいだろ」
そう言って、男は満足そうに笑った。
本当に目を覚ましたのは、白鳥?
END
「よぉ、早かったな」
机の上には無数に並べられた酒瓶。
部屋に充満する酒の匂い。
それを見た瞬間、思わず顔が引きつった。
何をしていたんだこの二人は。
いや、この状況を見れば想像は容易にできる。
自分たちがザウデに向かった後、二人はこの部屋で酒盛りを始めたのであろう。そしてそれが今まで続いていた…ただそれだけの話だ。
だが、それが現騎士団長相手に死闘を繰り広げ、クーデターまがいなことを行った人間のしたことと考えればどうだろう。
部屋の惨状を見た瞬間、脱力するのも仕方ないというものだ。
アレクセイの眉間には深い縦じわが刻まれ、心なしか、デュークの無表情もどこか呆れているように見える。
だが、当の二人はどこ吹く風。
わずかに頬を赤くした表情で、にやにやとしながら三人を見回した。
「で、どうだった?納得したかよ」
「貴様が言いたいことは理解した」
「へぇ…で?」
そう尋ねる間も酒の注がれたグラスは手放さない。
はたから見れば、酔っ払いが絡んでいるようにしか見えず、とてもこの世界の大事を話しているようには見えない。
だが、帰ってその方がいいのかもしれない。
かたい雰囲気では話せないことも、こういう雰囲気なら話しやすいこともあるだろう。
……そう自分に言い聞かせて、この異常な場での話に耳を傾けた。
話の中心にされているアレクセイはすでに腹をくくったのか、迷うことなく口を開く。
「ザウデには手を出さない。今はな」
「今は…ねぇ」
今は
その限定型の言葉に、デュークが厳しいまなざしを向ける。
それを制しつつ、ユーリは先を促した。
「ザウデの役割は分かった。あれでは私の計画の役には立たない」
「だから手を出さない…ね」
「だが、あれをこのままにしておくつもりはない」
「ふぅん」
「私はこの世界を変える。私の道を邪魔するものは星喰みであろうと打ち砕く」
確固とした決意を持って宣言された言葉。
それを聞いて、思わず息を飲む。
そうだ。これが高いカリスマ性をもって騎士団を率いてきた、アレクセイという男だ。
アレクセイの言葉を受けて、ユーリの唇が弧を描く。
「要するに?」
「計画は曲げても、自分の意思は曲げる気はねぇってことだろ」
ユーリの言葉尻をナイレンが継ぐ。
二人は何やら見つめあって、笑い始めた。
……実に不気味である。
だが、それを止める者は残念ながらいなかった。
やがてひとしきり笑って満足したのか、ようやくユーリが笑いをおさめる。
そして、数々の酒瓶を押しのけて、その下から一通の封筒を取り出した。
それをブーメランでも投げるかのように、アレクセイに向かって投げてよこした。
ユーリの手から離れた封筒は緩やかな弧を描いて、アレクセイではなくシュヴァーンの手におさまった。
「やる。好きに使え」
そう言われても、何が何だかわからない。
アレクセイを見れば、開けるようにう促された。
仕方なしに、懐に入れてある小刀で封を切る。
すっと中身を取り出してみれば、信じられない文面が見え、思わず身を凍らせた。
身動きをしなくなった自分の手から、アレクセイが書類を奪うが、それを目にした彼もまた、冷静沈着な騎士団長には珍しく、驚愕の表情をうかべてユーリを見た。
「何だこれは」
「見ての通りだろ」
「どうしてこんなものがある」
「本物なのは間違いないぜ」
「そんなことは見ればわかる」
「ならいいじゃねぇか」
「そういう問題か!」
アレクセイが声を荒げる気持ちがよくわかる。
それほどに、ユーリが差し出してきたものはあり得ないものであるのだ。
それは、皇帝家直属の子孫であることを証明すると言った文面の書類。
即ち、それをもつものは皇位継承権を持つということになる。
しかも、そこに書かれていたのはアレクセイの名であったのだ。
先の皇帝クルノス十四世が、アレクセイは自分の異母兄弟であると書き、署名捺印している。
もちろん、そのようなことが事実でないのは、誰よりもアレクセイ自身が知っている。
自分ではどうあがいても皇位に手が届かないから、武力による改革を進めようと考えたのだから。
刺すような視線が集まる中、ユーリは悠々と酒を呷る。
そして一言。
「いらねぇなら捨てるぜ?」
この場でそれを言うか。
思わず顔が引きつる。
このような俗世の争いを目にして、世捨て人のデュークは一つため息をついて踵を返した。
「帰るのか?」
「このような場にもはや用はない」
「じゃ、オレも乗せてってくれ」
「おい、ユーリ。お前、俺にあと押し付ける気じゃねぇだろうな」
デュークについて部屋を出ようとするユーリをナイレンがひきとめる。
だが、それに返されたのは機嫌の好さそうな笑み。
「賭けはオレの勝ちだったろ。ナイレン」
「お前は最初からそのつもりだったろうが。……もういい。いっちまえ。当分帰ってくるなよ」
しっしっと猫の子でも追い払うように手を振るナイレンは諦め顔。
だが、このまま置いていかれては何もわからないままだ。
「ローウェル隊長!」
慌てて声をかける。返されたのは……
「次はないからなー」
ちらりと見えたのは、剣呑な光をおびた冷たい瞳。
思わず息を詰まらせれば、その間に瞳は笑いを含んだものに変わり、逸らされた。
後ろ手に手を振って、今度こそユーリの姿は消えた。
「…っ…こんなことが……」
ザウデの中枢。
一人ザウデの術式を解析していたアレクセイはその手を止め、壁に拳を叩きつけた。
アレクセイがおかしな真似をせぬようにその様子を監視していたデュークは、アレクセイの様子を見て静かに言葉を紡いだ。
「それがザウデの役割。この世界の真実」
アレクセイが何を知ったのかは分からないが、その様子から生半可なものではないと知れる。
この場でそれを知らぬのは自分だけ、という疎外感を感じつつデュークを見れば、それを察したのか無口な男が再度口を開いた。
「古代ゲライオス文明で数多くの魔導器が作られ、人はそれを使用してきた。だが、魔導器はエアルの乱れを引き起こす。一つ一つは微々たるものでも、世界中で魔導器が使用されれば、その乱れは巨大なものになる。始祖の隷長らはエアルの乱れを調整し続けてきたが、人が引き起こしたエアルの乱れは始祖の隷長らの調整能力をついに上回った。ゲライオス文明の末期…世界に災厄が訪れた」
「災厄?」
そのようなこと、文献には残されていない。
確かに、古代ゲライオス文明は突如滅び去っているが、それはその災厄のためだというのだろうか
眉をひそめる自分をよそに、デュークの話しは続く。
「星喰みと呼ばれた災厄はその名の通り、星の命ともいえるエアルを喰う。エアルを用いた術式は星喰みには通用せず、世界は滅びの時を迎えようとした。その時になって人はようやく気付いたのだ。自らの過ちを」
デュークはまっすぐに空を見上げる。
その瞳は憎い仇を見るかのように赤く燃えていた。
「当時の指導者であった満月の子らは、その命を原動力としてこのザウデを起動させた。星喰みを遠ざけるために」
「ではザウデは巨大な結界魔導器ということか」
「そうだ。そして、残った満月の子が魔導器を地中へ破棄し、魔導器を管理するためとして帝国を興した。だが、結局は同じこと。人はまた同じ過ちを繰り返す。…愚かしいことだ」
言葉の節々に、人に対する嫌悪感を感じる。
空を見ていたデュークの瞳が、今度はアレクセイに向けられる。
「貴様はどうする」
愚か者となるか?
そうデュークは無言で尋ねる。
その手には抜き身の宙の戎典が握られており、返答如何によってはこの場でアレクセイを斬る気なのがありありとわかる。
アレクセイはデュークをちらりと見たのみで、無言で手を下ろした。
「戻る。あの男の思い通りになるのは癪だが……仕方あるまい」
あの男…とはおそらくユーリのことだろう。
デュークの問いに対して明確な答えは口にせず、アレクセイは出口へと足を向けた。
彼は心を決めたのだろう。
では、自分は…?
そんな心の迷いを見透かしたように、アレクセイの瞳がシュヴァーンを射抜く。
「シュヴァーン、お前はどうする気だ」
それに対する答えはまだ持ってはいなかった。
だが一つ言えること…。
「最後まで見届けさせてもらいます」
たとえそれがどのような結果になろうとも、それが今まで自分がしてきたことのけじめになるだろうから。
ユーリがデュークを説明する際に使った『人間嫌い』という言葉は実に的確な表現であったようで、男は全くと言っていいほど口を開かない。
アレクセイの方も何も言わないので、当然船の上での会話はない。
重い
初めのうちは我慢していたシュヴァーンであったが、テルカ・リュミレースのへそと呼ばれる海域にあるザウデへはそれなりの時間を有する。
その間、この針の筵のような空間ですごすことに、さすがのシュヴァーンも気力を削がれていた。
どちらかが一言でも話してくれればこの重い空気も少しは解消される気もするが、その二人にそれは望めない。
このまま耐えるべきか、自分から口を開くべきか。
悩んだ挙句、答えが返ってこないことを覚悟の上で、デュークに声をかけることにした。
「デューク。ローウェル隊長とはどこで知り合ったんだ?」
ユーリはすでに隊長ではないのだが、こう呼ぶ方が今の自分にとってはしっくりくる。
じっと相手の反応を窺っていると、今まで何の反応も見せなかったデュークがちらりと横目で見た。
だが、その瞳はすぐにそらされる。
やはり答えてはくれないか…そう諦めかけたとき、ぽつりと波音に消えそうなくらい小さな声でデュークが呟く。
「……人魔戦争だ」
「……え?」
今のが答えなのか。
デュークを見るが、彼はまっすぐに海を見つめるばかりでこちらとは目を合わせない。
だが、応えを返したということは話す気はあるということだろう。
重ねて問いかける。
「どうやって?そちらは騎士団には所属していなかったはず…」
「………」
かつて人と始祖の隷長の間で勃発した争いは、後に人魔戦争と呼ばれた。
10年以上も前の話であるため、自分はまだ騎士団には所属してはいない身ではあったが、当時のことは嫌というほど覚えている。
何せ、自分を騎士団に入らざるを得なくした理由を作ったのが、人魔戦争であったのだから…。
無意識に自分の左胸を抑える。
手に触れる硬い感触。
戦争に巻き込まれて死ぬはずであった自分を助けたこれは、同時に自分を縛りつける鎖となった。
これを植え込んだ男…アレクセイが、何を考えて当時の自分を選んだのかは分からない。
だが、それ以降自分はアレクセイのもとで働くことを余儀なくされた。
人魔戦争のことは帝国に隠されて一般には知れることはなかったが、騎士団に入った自分はアレクセイの指示で動くにつれ、当時のことをわずかながら知ることができた。
その一つが、この男…デュークの存在である。
当時、傭兵として戦に参加したこの男は、そのたぐいまれなる才を発揮して、帝国の勝利に貢献した…とか。
だが、戦の後に彼は姿を消し、帝国は彼の功績すら抹消した。
その理由があるのであろうが、それは調べても分かりはしなかった。
あの戦争で何があったのか。
それをこの男は知っている。
そして、なぜかそこにユーリが関わっている。そんな気がした。
じっとデュークを見る。
デュークは一つため息をつくと、口を開いた。
「奴に命を助けられた」
端的な一言。
自分にはその言葉以上のことは分からなかったが、アレクセイには思い当るところがあったらしい。
その瞳が初めてまともにデュークに向けられた。
「なるほどな。あの数の討伐隊から逃げ伸びたのは奴の手引きか」
アレクセイの言葉に、デュークの眼光が鋭さを増す。
どうやら、それはデュークにとって触れられたくない部分であるようだ。
危うげな空気が流れたが、それはデュークが瞳をそらすことで途切れた。
もう話すことはない。そう彼の背が語っている。
話を始める前よりも険悪となった雰囲気に、そっと溜息をついた。
「はっ……貴様の勝ち、だ。憎らしい奴め。いつも私の邪魔をする」
「ははっ。そりゃこの上ない褒め言葉だな」
仰向けに倒れたアレクセイに、ユーリは刀を向ける。
それを眺めながら、アレクセイは自嘲気味に笑う。
「ここで終わりか。長年の計画も崩れればあっけないものだ」
「妙に諦めが早いな」
「…時が来たということだ。……どうした?けじめをつけるのだろう?」
さっさとやれ、とせかす男に、ユーリは深々とため息をつく。
「そんなつもりのけじめじゃねぇよ。……だから安心しろ、シュヴァーン」
「……なに?」
アレクセイの目がさまよい、やがて自分の姿を認めて、その目が大きく見開かれる。
どうやら、本当に自分の存在には気づいていなかったようだ。
知らず知らずのうちに詰めていた息をゆっくり吐く。すると、自分の左手にいやに力がこもっていることに気づく。
意識して見れば、無意識のうちに剣を握りしめていたことが分かった。
抜こうとしていたのか。剣を。…なぜ。
戸惑いながらも剣から手を放す。
みれば、ユーリがにやりと笑っているのが見えた。
「オレはあんたを殺すつもりはないぜ。死にてえんなら、てめえでやってくれ」
「ならば何のためにこんなことをした」
わけがわからないと顔をしかめるアレクセイ。
ユーリはと言えば、戸惑うアレクセイを面白そうに眺めている。
同じく事情を知っていそうなナイレンを眺めれば、肩を竦められた。
ナイレンから事情を話す気はないようで、ユーリの言葉を待つしかないようだ。
ユーリは体を起こしたアレクセイの隣に座ると、ようやく口を開いた。
「オレはあんたの計画には賛同できねえ」
「…だろうな」
「けど、今の帝国を変えるってことは反対しねえ。別に、あんたが上に立つって言うんなら反対もしなかったさ。…あんたの計画があれじゃなけりゃな」
ユーリの言葉はアレクセイにとってはかなり意外であったようで、無言で彼を見つめている。
ユーリは一つ息をつくと、真剣な顔でアレクセイを見た。
「あんたは気づいてないかもしれねぇけどな、あんたの計画には致命的な欠陥がある」
「何?」
「あんたの計画の要…ザウデ不落宮。あれはあんたの思っているような兵器じゃねぇよ」
「…なんだと?」
アレクセイの目が剣呑としたものへ変わる。
「あんたはどうせ信じねぇだろうからな。実際に見てこいよ。…デューク。頼む」
ユーリが声をかけると、どこからか一人の男が現れた。
手には宙の戎典を持っている。
シュヴァーンはその男を知っていた。
人魔戦争の英雄、デューク。
だが、その存在は歴史から抹消され、彼自身の行方も分からないままであった。
その彼もまた、ユーリとつながりがあったとは。
信じられない思いで見ている中、デュークは滑るような足取りでユーリの横に並ぶ。
「こいつと一緒にザウデに行ってこいよ。ま、分かってると思うが変な気は起こすなよ。こいつは人間嫌いだからな。あんたが変なまねをしたら今度こそ息の根止められるぜ」
「……もとより負けた身だ。無様なまねはしないさ」
「だとさ。頼めるか、デューク」
「……良いのか?」
「頼む」
ユーリの迷いない様子を見て、デュークはわずかに頷く。
そして高々と宙の戎典を掲げた。
御剣の階梯より眩い光が放たれる。
光は巨大な橋となって空を走り、やがて海へと突き刺さった。
その瞬間。大地を揺るがす震動が世界各地へと伝わった。
遠く離れたこの場所からですら、その巨大な魔導器を見ることができた。
「あれが…ザウデ……」
驚愕の面持ちでそれを見やる。
アレクセイはあれを巨大な兵器だと言っていたが、本当にそうなのだろうか。
指輪のように円いフォルムで巨大な魔核を掲げるその姿は、他者を攻撃するよりも、なにやら祈りのようなものを感じる。
痛む体を引きずるようにして立ち上がったアレクセイは、複雑な表情でそれを見ている。
長年この手に…と望んでいたザウデだ。思うところは多いのであろう。
「見てこいよ……この世界の真実を…な」
ユーリの呟きが聞こえる。
それにどこか暗いものを感じて彼の方を振り返るが、彼はこちらに背を向けていて、その表情はうかがえない。
「デューク。大体は俺の部屋にいるだろうからな、終わったら帰ってきてくれ」
ナイレンがそのように促せば、デュークが小さく頷く。
やがて、デュークとアレクセイ、それにシュヴァーンを乗せた船が、帝都からザウデに向かい出航した。